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宇都宮地方裁判所 昭和57年(わ)110号 決定 1982年6月22日

被告人 K・D(昭三九・八・一八生)

被告人 O・N(昭三九・三・一五生)

被告人 T・M(昭三九・四・二〇生)

主文

本件をいずれも宇都宮家庭裁判所に移送する。

理由

本件公訴事実は、

「被告人三名は、栃木県塩谷郡○○町大字○○××番地一所在の喜連川少年院(院長○○○)に収容されていた少年であるが、同院に収容されていたAほか一一名と共に同院の職員に暴行を加え、その所持する同院学寮出入口の鍵及び金員を強奪して同院から逃走することを企て、共謀のうえ、昭和五七年一月二二日午後七時三五分ころ、同院第五学寮内において、同院教務課生活指導担当法務教官として当直勤務中のB(当二五年)に対し、矢庭に同人の頭部からその身体にかけて数枚の毛布等をかぶせ押さえ付けるなどして身動きできないようにしたうえに、デッキブラシの木製柄及び手拳でその顔面、胸部等を乱打し、更に足蹴にする等の暴行を加え、同人の職務の執行を妨害するとともに、その反抗を抑圧して、同人が所持していた前記学寮出入口用鍵一個、寮舎内木戸用鍵三個及び実科場出入口用鍵一個(時価合計約二、八〇〇円相当)を強取し、その際、右暴行により、同人に対し、加療約二九日間を要する頭部頸部挫傷、腰部背部挫傷等の傷害を負わせたものである。」

というのであつて、右事実は、当公判廷で取り調べた各証拠により認めることができ、これを争う弁護人らの各主張はいずれも理由がない(弁護人らは、殊に、被告人三名が他と共謀のうえ公訴事実記載の鍵五個をBから奪取した行為は、右の各鍵の管理を一時的に排除したものに過ぎず、不法領得の意思を欠く旨主張するが、右の各鍵は、喜連川少年院内の学寮出入口の扉等拘禁設備の施錠を解くためには必要不可欠な用具であつて、それ故に同少年院の担当教官により厳重に管理、保管されていたのであり、同少年院から脱走すべく右各設備の施錠を解く目的で、その所持者に暴行を加えてまで右の各鍵を強取した行為は、まさしく他人の物につき、その管理を排除してこれを自己の所有物であるかのように利用する不法領得の意思に基づいてなされたものというべきである。)。

そして、右被告人三名の本件行為は、いずれも刑法二四〇条前段、九五条一項、六〇条に該当する。

そこで、以下、当裁判所において取り調べた各証拠に基づき、被告人三名の処遇を検討する。

被告人K・Dは、中学三年のころより家出、不良交友等の問題行動を起こすようになり、昭和五五年七月四日、浦和家庭裁判所熊谷支部において、道路交通法違反、傷害、横領、恐喝の非行により、試験観察に付され、補導委託されたものの、右委託先から逃走し、以後在宅試験観察に切り替えてその推移を見守ることとされたにもかかわらず、その後も恐喝、傷害等の非行を重ね、更に、右試験観察に付される以前の強姦の事実も発覚し、結局以上の各非行について昭和五六年二月一三日、同支部において、中等少年院送致決定を受け、同月一七日、喜連川少年院に収容されたものであり、被告人O・Nは、中学二年のころより、不良交友、窃盗、シンナー吸引等の非行を繰り返すようになり、昭和五三年一〇月一七日、東京家庭裁判所において、保護観察に付されたにもかかわらず、再び不良交友、建造物侵入等の非行を続け、昭和五四年四月三日、同裁判所において、初等少年院送致決定を受け、同月六日、多摩少年院に収容され、翌昭和五五年八月一九日仮退院を許されて保護観察に付され、一応まじめに鳶職として稼働していたものの、更にトルエン吸引、窃盗未遂等の事件を起こし、昭和五六年九月三〇日、同裁判所において、試験観察に付されたところ、なおもトルエン吸引の非行を繰り返したため、同年一〇月二二日、同裁判所において、中等少年院送致決定を受け、同月二六日、喜連川少年院に収容されたものであり、被告人T・Mは、小学二年のころ、父の家出(後に服役)、母の精神病院への入院により、兄とともに養護施設に収容され、その後同施設内において窃盗の非行を重ねたため中学二年のころ教護院に措置変更され、昭和五五年三月、中学を卒業すると同時に同院を出院し、一時期塗装工場等で稼働していたものの、間もなく徒遊生活を送るようになつて窃盗等の非行を犯し、同年八月八日、東京家庭裁判所において、保護観察に付されたにもかかわらず、その後暴力団関係者と接触を持つようになり、半年を経ずして恐喝事件を起こし、昭和五六年四月二日、在宅試験観察に付されその経過を見守ることとされたが、その後引き取られた叔父宅を飛び出し、再び暴力団関係者らと接触して、覚せい剤の所持、譲渡等の非行を重ねたため、同年一〇月一日、同裁判所において、中等少年院送致決定を受け、同月五日、喜連川少年院に収容されたものである。

そして、被告人三名は、それぞれ右のとおり中等少年院である喜連川少年院に入院した後、引き続きいずれも同少年院第五学寮において、矯正教育を受けていたが、同少年院における教官の指導、生活規律等になじめず、昭和五六年一二月下旬ころ、被告人T・Mにおいて、同学寮で在院期間が最も長くリーダー的存在の一人であつた被告人K・Dに対し、同少年院からの脱走計画を持ちかけ、同被告人もこれを承諾し、以後、被告人T・Mが個別処遇を受けたことから一時期右計画が頓挫したことがあるものの、翌昭和五七年一月一七日ころ、更に、被告人K・Dと同様同学寮内のリーダー的存在の一人であつた被告人O・Nを右計画に加え、同被告人において、脱走計画書を作成するなどして、右計画をさらに具体化しつつ、同学寮内の他の少年一二名をも誘つてこれに参加させ、前示の犯行を敢行して、右一二名の者らとともに、同少年院を脱走したものである。

ところで、本件は、まず以上のように綿密な計画のもとに一五名にも及ぶ集団で敢行された強盗致傷、公務執行妨害事件であるという点で重大かつ悪質な犯行であるといわざるを得ず、動機においても酌むべき点は見出し難く、その結果においても、被害者に対し多大の肉体的苦痛を負わせたばかりでなく喜連川少年院その他同様の施設における少年処遇に種々の悪影響を及ぼしかねない事態を招来し、更に、幸い、脱走後重大な二次的犯罪が惹起されなかつたとはいえ、近隣住民にも少なからぬ不安の念を生ぜしめるなどしたこと、また被告人三名は、本件犯行全体を通じていずれも主導的役割を果たしていたこと等の事実に照らすと、被告人らの本件所為は誠に重大であつて厳しく非難されるべきである。

そして、被告人三名は、いずれも前示のような同少年院に収容されるに至るまでの非行歴、処分歴等からみると、非行性がかなり進んでいることは否定し難く、その性格においても、他罰的で、自己統制力が弱く、規範意識に欠け、安易に周囲に同調するなど種々の性格偏倚がみられるとともに、基本的生活習慣が身につかず、束縛を嫌つて不良集団との接触に走りがちな行動傾向を有し、これらが過去の非行及び本件犯行の要因をなしていると認められ、また同少年院における被告人三名の成績や生活態度を見ても、同少年院が被告人三名の処遇については相当の困難を抱えて苦慮していたことが、うかがわれるのであり、以上の諸点に着目すれば、本件はいずれも少年保護の限界を超えた事案であると考えられない訳ではない。

しかし、更に考察を進めると、被告人三名は、本件犯行時未だ一七歳五月ないし一七歳一〇月の若年であり、いずれも、後示のとおり、家庭における適切な監護養育を受けなかつたことから、同じ年齢の少年より更に精神的に未熟であつたことがうかがえるのであつて、このような被告人らに対し、成人の場合と同様にその刑事責任を追及することは十分に慎重でなければならない。また本件犯行は前示のように種々重大な側面を有しているとはいえ、被告人らは、本件犯行を少年院からの脱走を主たる目的として(右脱走行為自体については、刑法上処罰規定がない。)敢行したものであつて、鍵や金員の強取ないしその謀議は、その手段的付随的意味を持つていたにすぎないと解すべく、また、被害者の被つた傷害の程度も幸い重篤なものに至らなかつたものである。ところで、本件犯行は、強盗致傷罪と公務執行妨害罪との観念的競合であり、被告人三名を刑事処分に付するとすれば、その処断刑の最下限(不定期刑の短期)は酌量減軽を施しても懲役三年六月を下らないのであるから、以上のような被告人らの犯行時における年齢、精神的未熟さ、強盗致傷の犯行内容からみると、本件が被告人らに短期三年六月以上の刑を科さなくてはならないほどの重大事犯であるとまでは認められない。

そこで、更に被告人らの保護処分による矯正可能性についてみると、被告人三名は、いずれも、前示のとおり、非行性がかなり進んでいるとともに、性格偏倚と異常な行動傾向がみられ、かつそれらは相当根深いものであるけれども、被告人三名は、現在においてもその年齢は一七歳一〇月ないし一八歳三月であつて、いずれも、その幼児期から思春期にかけての成育環境に問題があり、家庭における適切な監護養育を受けないまま成長した面がうかがわれ、殊に、被告人三名のうちでは最も性格偏倚等が著しい観のある被告人T・Mは、知能がやや劣るうえ、前示のとおり、小学二年のころより、養護施設等で生活することを余儀なくされ、父母の愛情にほとんど接することなく、その人格形成に多大の障害を負わしめられてきたものであつて、以上の点に鑑みると、被告人三名の右のような性格偏倚や行動傾向は、少年時の精神的未熟に基礎を置くものと認められ、未だ被告人らの人格に固着されたものとまではいい難い。

ところで、喜連川少年院が従来から被告人三名の処遇に苦慮していたことは前示のとおりであり、また今回被告人三名が、右の処遇を全面的に否定する行動に出たことも極めて由々しい事柄ではあるが、被告人三名は、少年院在院中現実に脱走行為に及んだのはいずれも今回が初めてであり、喜連川少年院内における平生の問題行動の性質・程度も、いずれも院内での矯正教育を相当期間にわたり不能もしくは著しく困難ならしめるほどのものでなかつたことがうかがわれ、また、被告人K・D及び同T・Mは、いずれも少年院に収容されるのは喜連川少年院へのそれが初めてであり、また、被告人O・N及び同T・Mは、いずれも同少年院に収容されてから三か月前後で本件犯行に及んだため、未た同少年院において十分な矯正教育を受けるまでには至つていなかつたものであり、なお被告人O・Nについては、初等少年院にも収容されたことがあるところ、その際も数回問題行動を起こし、仮退院が通常よりやや遅れたものの、仮退院の前ころには成績が向上し、仮退院後もしばらくは生活が安定していたという経過がある。

そして、被告人三名は、本件につき、五か月近くにわたつて身柄を拘束され、その間捜査機関の取調べ、少年鑑別所における鑑別及び家庭裁判所における調査、審判等を通じて、本件の重大性、少年院における自分勝手な生活態度等について認識を深める機会を十分与えられてきたと思料されるうえ、本法廷において刑事手続を経験したことにより更に右認識を徹底させられたものとうかがわれ、被告人三名とも現在、自己の犯した罪の重大さを自覚し、本件について真に反省し、今後は素直な気持で矯正教育を受けて更生に努める旨誓約している。

以上の事実を総合すると、今後被告人らに対し引き続き保護処分を施すことによりその性格偏倚と非行性を除去して被告人らを更生させることには相当の困難が伴うことは否定できないが、未だ保護処分による矯正可能性が全くないと断定することはできない。

そこで、当裁判所は、以上に判示した諸般の事情を彼此勘案し、更に、犯罪少年の処遇については、刑事処分より保護処分を優先させて少年の健全な育成を期している少年法の理念、法意等をも併せ考慮し、被告人三名に対しては、いずれも、これを刑事処分に付するよりも、家庭裁判所において更に調査・審判を受けさせたうえで、適切な矯正教育を施しうる施設に送致する等の保護処分に付するのが相当であると認める。

なお検察官は、裁判制度の安定性や家庭裁判所の有する専門的調査機能・審判機能に照らすと、少年法二〇条により刑事処分相当と判断した家庭裁判所の決定(以下「二〇条決定」という。)には上級審裁判所の判断に準じた拘束力があるから、同法五五条に基づく家庭裁判所に対する移送(以下「五五条決定」という。)は、刑事事件を審理する裁判所(以下「刑事裁判所」という。)において事実審理の結果、右家庭裁判所の判断を覆すに足りる新たな事情を発見した例外的な場合に限つて許されるべきである旨主張する。

確かに、家庭裁判所は、非行少年の処遇を専門的に行う裁判所であり、また、同裁判所が行う二〇条決定は、家庭裁判所調査官や少年鑑別所により人間諸科学の専門的知識を活用してなされた調査・鑑別の結果や処遇意見に基づきあるいはこれらを参考にしてなされるものであるから、刑事裁判所は、五五条決定をするか否かを判断するにあたつては、右のような専門的見地からなされた調査・鑑別の結果を最大限に活用・精査し、また二〇条決定において示されている家庭裁判所の判断にも十分耳を傾ける必要があるけれども、右事実から直ちに右家庭裁判所の判断に拘束力があると解することは相当でない。

すなわち、もし右家庭裁判所の判断に拘束力があり、五五条決定が検察官主張の場合に限つて許されるのであれば、当然その旨明文で規定される筈であるのに、同条を含めて少年法には全くその旨の規定がない(それは、同法四五条五号において、二〇条決定があつた事件について、検察官に公訴提起の義務がない場合として、「犯罪の情状等に影響を及ぼすべき新たな事情を発見したため、訴追を相当でないと思料するとき」等と明文で規定されているのと対照的である。)ばかりか、そもそも、少年法は、非行少年の処遇においては保護処分を原則とし刑事処分を例外とする「保護優先」を基本的理念としており、家庭裁判所と刑事裁判所のいずれもが刑事処分相当と認めた場合に初めて少年を刑事処分に付しうると解するのが、右理念にそうものであり、なお、二〇条決定については少年側に抗告権が認められておらず、不当な決定に対しては右のような少年法の保護優先の理念からみても五五条決定によりこれを是正する必要があること(この意味で二〇条決定が覆されることにより法的安定性が損われることがあるとしても、それはやむをえない。)を併せ考えると、刑事裁判所は、事実審理の結果、被告人を保護処分に付するのが相当であると認めるときは右事実審理の過程で家庭裁判所の判断を覆すべき新たな事情を発見した場合でなくても、右家庭裁判所の判断に拘束されることなく、事件を家庭裁判所に移送すべきであると解される。

したがつて、本件について、二〇条決定後に新たな事情が生じたか否かにかかわらず、当裁判所が、以上に判示したとおり、本件犯行についての違法性、有責性の程度、被告人三名の矯正可能性等諸般の事情を改めて慎重に検討したうえ、これらを総合して五五条移送決定を相当とする判断に達したものである以上、右判断には、何ら違法・不当な点は存しないものというべく(なお、当裁判所は前示のとおり二〇条決定後被告人三名が更に反省を深めた事実も勘案して右判断に達したものである。)、これに反する検察官の主張は、家庭裁判所の機能、少年法の理念等につき独自の見解に立ち、これに基づいてなされているものであつて、採用の限りでない。

よつて、少年法五五条により、本件をいずれも宇都宮家庭裁判所に移送することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 竹田央 裁判官 畑中英明 松原正明)

〔編注〕 事件の移送を受けた宇都宮家庭裁判所は、昭和五七年六月二八日、本件の少年三名に対して特別少年院送致決定を行つた。

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